もやし大学生の「やるしかねえよ」

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ハシリコミーズ1stアルバム『無理しよう!』全曲レビュー・感想「あの子」はなぜ「地球のモノ」になったのか?

 

序文

こんにちは、かつてもやし大学生だった社会人3年目の者です。今回は僕がここ1年ずっとハマっているハシリコミーズの1stアルバム『無理しよう!』(2020)を、勝手に全曲レビューします。

『無理しよう!』ジャケ。アタルは絵が描ける。すごい。無断転用なので怒られたら消します。

ハシリコミーズはアタル(Gt.Vo)、あおい(Ba.Cho)、さわ(Dr.Cho)のスリーピースバンド。バンド名の由来は、アタルが高校時代に陸上部でした“地獄の走り込み”から来ていると、ライブのMCで話していた覚えがあります。

 

この一年で『たまには下と比べましょう』『本当の綺麗がわからない』というタイトルのシングルが出ているように、彼らの詞は“ニヒリズム200%”なんて言葉で表現されることもあります。だけど僕のイメージでは、彼らの詞はニヒリズムという言葉から想像されるひねくれたものではありません。誰もが時折「あれ?」と感じるはずの「世間の感覚と自意識との“ズレ”」を、素直に簡潔に言葉にしている、そんな詞だと感じます。加えて、綺麗事では済まされない自分の「身勝手さ」を、自覚的にストレートに表現している、これもハシリコミーズの詞の特徴であり魅力だと感じます。

そんな身近で素直な詞の一方、音楽には楽しく激しいパンクの勢いがあるうえにちょっとオシャレで、スリーピースなのに超華やか。どことなく3人の育ちのよさが滲み出るような上品さも、歪んだエレキギターもカッコいい。ライブで見ると、とにかくアタルの“スター感”がやばい。ストレートなのに最高に華のあるバンドです。

 

前置きが長くなりましたが、早速全曲レビューに参りましょう。

 

全曲レビュー

 

#1. 『インターバル』

アルバムタイトルの『無理しよう!』の詞で幕を開けるファーストナンバー。「無理しよう、やるべきことできてないし」と、一見意識の高い真面目な青年が言ってそうなセリフだが、ハシリコミーズの世界では「やるべきことが何かは分かってないけど、とにかくテンション高く無理しちゃおうぜ」いう潔さとシニカルさを含んでいるように感じる。感覚はまさに「ハシリコミ」に似てる。ちゃんと意味を理解してやってるわけじゃないんだけど、なんかテンション上がって楽しいんだよね、あれ。

パンチラインは「そんな理想は雲の上、俺が今いるのはデパ地下のアジア料理」。デパ地下でアジア料理食ってるやつは、そりゃやるべきことやってねえよな、と思えてしまう。孤独な部屋にひとり籠もるでもなく、学校サボって映画館いくでもなく、「デパ地下のアジア料理」。育ちの良さが滲み出るような、そんな自分も省みるような違和感と閉塞感の表現、最高です。

 

「揶揄しよう、そんで照れて抱きつこう そんな理想は雲の上、俺が今いるのはデパ地下のアジア料理」

 

#2. 『金持ち東大前』

タイトルから詞から構成まで、どこまでも直球な名曲。シチュエーションは、別れることが決まっている彼女と最後に東大前で会う、というところだろうか。

彼女がSupreme着てる、まじで悲しくなる今日この頃」これが全てじゃないだろうか。僕といるときには着てなかったSupremeを着ている事実がやるせなくムカつく。

「服を脱げばカワイイ」は、付き合っていた僕が彼女に送る、あまりにストレートな負け惜しみと未練なのかも。

 

「こんな僕でいいのかな あんな奴でいいのかな 別れたくない 服を脱げばカワイイ」

 

#3. 『ジャンゴ』

ライブの定番曲。ウォーキングベースの心地いいAメロに、アタルの気持ちよさそうなメロディーラインが乗る。「走らなくてもいい場所でも走ってしまう」と青春のありあまるエネルギーを歌ったすぐあとに、「君が僕を求めてるとき、僕は求めてない」と、思わず「んん!?」と立ち止まってしまう詞が入る。

誰もが一度は感じたことがあるだろうこの「自分の身勝手さ」を、こんなに素直に歌えるアーティストがどれだけいるだろうか。超ストレートな事実と簡単な日本語、そこから伝わってくるタブー感と、ある種の潔さ。誰しもがそういった一面を持っているはずなのに、自分の身勝手さ・悪意を自覚していないと、こんな詞は書けない。僕がハシリコミーズを好きになった瞬間である。

ちなみに2022年7月リリースのシングル『たまには下と比べましょう』にも、これと同じ切れ味を感じる僕の大好きな詞がある。「先生の話は頭をすり抜けて、僕はあの子と別れたらって妄想して」。誰もが一度はしてしまう、身勝手な妄想。それに気づいて、詞にできるのは明らかに才能だと思う。

 

「そううまくはいかないけど 諦める勇気もない」

 

#4. 『うすい夏』

この曲の詞の意味は、正直よくわからない。が、類推すると、「夏休みどうだった!?」と聞かれ、ショージキ“うすい夏”を過ごしたアタルが、どーでもいい嘘をつきまくる、そういう歌なんだと思う。

「冬休みの予定がないけど 夏休みはあったのに」「夏休みの予定がないけど去年まではあったのに」「去年まではあったの 犬がそばにいたの 全部嘘の話」

「夏休みどうだった!?」なんてある種どうでもいい会話に、なぜかつかなくていい嘘をついてしまう、この感じを歌にしたのかな!?それなら僕もわかるのです。なぜかいつも、つかなくていい嘘を適当についてしまうから。だけど、「犬がそばにいた」ことだけはほんとっぽい、そこがちょっとかわいい。

 

「去年まではあったの 犬がそばにいたの 全部嘘の話 犬がそばにいたの」

 

#5. 『浅はかな僕らの旅プラン』

この曲までの5曲は、歌詞にタイトルが出てこない。以降6曲目以降は歌詞からタイトルが取られているので、タイトルの付け方とかもちょっとずつ変わっていったのかなと感じる。

この曲も内容はよくわからないが、「浅はかな僕らの旅プラン」のせいで、あの子との夏休みの旅行はあんまりうまくいかず、彼女に迷惑をかけてしまった、そういう流れなのだろう。

ただ、ここでもアタルの「身勝手で素直すぎる感覚の言語化」が炸裂。「君が女を捨てる前に 明大前のババア、すでに女を捨てている ああならないように」。めちゃくちゃ過ぎて笑ってしまうが、全く脈絡のない話でもない。あまりうまくいかなかった旅の帰りって超疲れるし、お互いに対する思いやりも欠けてくる。旅行から帰ってきて明大前駅にいたババアと、疲れて愛想の悪い彼女を見比べて、そういう身勝手で最低な想像をしてしまったのではないかなあ。

 

「君があの子が君が女を捨てる前に 明大前のババア、すでに女を捨てている ああならないように」

 

#6. 『待ってよーぜ』

自分と違うところもあるけど、気の置けない話のできる友達について歌っている歌なのかなと。「あいつができりゃ俺もできる、君ができたらただヘコむ」と、相変わらずの身勝手な感覚を歌いつつも、「君が悲しんでくれたらたかがそれだけで十分」と素直な詞も入る。青春の友情ですね。

 

「流行りを聞いてる君はどこにいる 笑い飛ばした それで十分、ずっと十分 たかが百年」

 

#7. 『50になったら』

アルバムで唯一、アコギに載せてスローテンポに歌い上げるバラード。ライブではアタルがアコギではなくキーボードを弾く。

素直で直線的な歌詞は他と同じだが、全作品のなかでも屈指の感傷的な歌だと、個人的には感じる。高校時代の日々を一緒に過ごした人とはお互い「飽き飽きしてきた」。卒業した後も、10年は連絡も交流も何にもなくていい。むしろ、交流はしたくない。でも、50歳になったら、ジジイとババアになったら、この日々を一緒に懐かしめると思う。そういう思いを歌っているのかなあ。

お互いを大切に感じていたからこそ、「飽き飽きしてきた」ことを自覚するのはつらいことだ。「50になったら純粋に懐かしむことができる」というのは、君に飽き飽きしたことにショックを受けている、そのことを受け入れるには時間がかかる、でもこの楽しかった日々を忘れたくない、という事実の証なのではないか。

 

「卒業してから10年くらいは何にもなくていいから 50になったらまた会いたいと誘ってくれ」

 

#8. 『髪の匂い』

あおいちゃんとアタルのダブルボーカルが新鮮な、青春疾走系のストレートなナンバー。「朝の匂い、ゴムの匂い」と青春一直線な描写に、「どんどん別れの時期がくる」とハシリコミーズらしい刹那的な諦念も忘れない、爽やかなロックンロール。さわちゃんの「ワンツー」のかけ声もかわいい。

 

「だんだん いつもの音がする 朝の匂い、ゴムの匂い」

 

#9. 『ズレた観点』

個人的に大好きな曲。時々ライブでやってくれるので、本人たちも好きなのかなと考えると嬉しい。

「ふたりでいれば十分だった」「いつも僕のものだった」あの子が、今はそうじゃなくなってしまったという歌なのだが、今の彼女を表す言葉がぶっ飛んでいる。あの子は「今では歴史と化している」「今は地球のモノになって」いると言うのだ。

この感覚・言葉をあえて解説するなら、「誰に説明する必要もない、ふたりだけの絶対的な時間」が、今では「歴史」のように相対化されたものになってしまった、地球上に溢れる数多のラブストーリーのひとつに還元されてしまった、という感覚なのだろうか。

あの時のあの子との最高な時間も、そしてあの子自身も、いずれ「地球のモノ」になってしまう。この無常観と「ズレた観点」を、人はどれだけ素直に持ち続けて生きていけるだろうか。

 

「あの子はいつも僕のものだったのに今は地球のモノになって ズレた観点でレッツゴー」

 

#10. 『プレハブ』

1stアルバムのラストナンバーを飾る、勢いマシマシ、一直線のシンプルなロックチューン。「カワイイ君とは趣味があう」「上から膝まで愛してる君も同じことを言うだろうね」と浮かれ具合100%の詞を並べた上で、ラスサビで突如歌われる詞に注目。

プレハブに壊された丘には夢がある

いきなりどうしたんだ。どういう意味なんだ。それが説明される間もなくノリノリロックチューンは終わってしまう。でも、なんとなくニュアンスは伝わる。「プレハブに壊された丘には夢がある」。こういう見逃しがちな感覚を見つけて、ストレートに言葉にするのが本当にうまい。

僕は高校時代あまり強くない野球部に入っていた。高校の狭いグラウンドに先日6年ぶりに行ったら、校舎の建て替え工事中で、グラウンドの半分がプレハブの仮校舎で埋まっていた。プレハブが建てられる前の場所には、どこかの誰かの夢が詰まってるものなのだ。

 

「プレハブに壊された丘には夢がある」

 

まとめ

自分語りをすると、僕は小学校から大学までうまくもない野球をずっとしてました。その一方でピアノもちょっとやって、パンクロックを好きになって、1人で好きな曲を聴き続けていました。そういう自分にとって、スターに見えるアタルが陸上部に入って、クラッシュの『白い暴動』に衝撃を受けたなんて話して、Theピーズと対バンをして、「ハシリコミーズ」なんて投げやりなバンド名をつけちゃうところに、なんとなく勝手に共感してしまうのです。

僕は「音楽をやりたいなあ」と考えながら結局何もせず、社会へのレールの上で「ハシリコミ」して、大学卒業してサラリーマンになり3年目を迎えました。そんな自分と3人を勝手に比較して、「いいなあ」って嫉妬してしまう。でも、そんな嫉妬をぶっ飛ばしてしまうくらい、3人にはスター性と華があって、ストレートなロックンロールをぶちかましている。こんなに純粋にカッコいいと思えた同世代(年下だけど)のバンドは初めてでした。

これからも彼らの新しい音楽を聴けると思うと楽しみでなりません。