もやし大学生の「やるしかねえよ」

野球・文学・音楽・恋愛 全ての底辺

なぜか「週刊誌編集者」になった25歳の宣言

皆様こんばんは、元もやし大学生だった者です。社会人生活も早3年目に突入しました。先ほど、大学時代に野球部で同期だったY君から「当時(大学4年生)の精神状態とか含め面白かったので共有しておきます」とLINEメッセージがあり、3年前に彼が書いていた文章が送られてきました。当時はコロナ禍1年目で、我々の生活の9割を占めていた部活が5か月ほど禁止になっており、就活、卒論などそれまで向き合ってこなかったイベントに独りで打ち込んでいた日々でした。野球ができない苦しみとマッチングアプリを始めた愚痴を綴ったY君の文章には、当時のやるせなさと諦めと、それを上回る熱量とサービス精神が詰まっていました。僕は、しょうもなさすぎる街・錦糸町のマンション、半分中身が残ったペットボトルと、渋谷のパルコで買ったクソ高いYシャツが散乱している部屋で、彼の文章をパソコンで読みながら、サラサラの涙がでました。

 

僕も大学時代は所感をウダウダ綴る文章をほんのり書いていたのですが、2年前に人生の謎すぎるターニングポイントである週刊誌配属を経験してから、精神的余裕も時間的余裕もなく黒目ばっかり大きくして過ごしてきたので、最近全然ウダウダ所感文を書いていませんでした。書く文章と言えば、わいせつ事件とSEX記事の原稿の他、僕を連れてガールズバーでくだをまき「こいつ童貞なのよ」と言って「やだー」「でも最近そういう子多いんでしょ?」と女店員に返答させる40代ライター宛ての「先日は楽しい夜をありがとうございました」から始まる御礼のメールばかりでした。

 

青天の霹靂だった2年前の週刊誌配属以降、人生は一変したと言っても過言ではありません。高市早苗蓮舫の違いさえわからなかった僕ですが、今や全国的には全く無名なのに「美人市議」というだけで限られたごく一部でもてはやされている女性政治家の旦那について、1日の大半を費やして調べている日々です。プランを出したとき、上司であり見たことないレベルで美人でセクシーな女性・Aさんは「もやしくんもスクーププランを出せるようになってきたんだね」と目を潤ませながら(多分)褒めてくれました。僕はAさんが着てるなぜか胸元に穴が空いているニットのワンピピースを見ながら「これからさらに頑張ろう!」と思いました。こんな人生は3年前には全く予想していませんでした。

 

週刊誌配属になってからこれまで2年間、毎週のプラン会議のたびにクソみたいなプラン表を提出し、「ネタを取らなきゃいけない」と泣きそうになりながら思い、闇雲にチャラそうな人間に声をかけ、酒を飲んでは「なんやねんこれ」と拗ねて深夜に帰宅し、カプセルホテル同然の錦糸町のクソ部屋で寝るという生活を繰り返していました。「ネタとらなきゃ」と決意する日はなぜか「他の人ができるならオレもできるはずだ」という謎の確信に満たされるのですが、毎回毎回現場でよく知らん東京の人とコミュニケーションを取るために無駄に酒を飲み「しょーもない人間死ねや」と感じて拗ねるので、当然結果は出ません。

 

そもそも小学校時代から野球と相撲中継以外のテレビ番組を全く見ずに育ち、野球部という狭すぎるコミュニティーにしか属したことがなく、御年25歳まで童貞、YouTubeのオススメ欄は野球とポケモンとカネコアヤノと2chまとめで埋まっている人間がスクープをとるというのは土台無理な話だということを自覚したのは、ごく最近のことです。Aさんも上司のBさんも、スクープをとるために当然のごとく年上の偉い東京の人と会食に行き、毎日ニュースと週刊誌を読んで情報収集しています。そんな世界で、毎週のプラン会議がつらいという理由だけの僕の付け焼き刃「スクープ取りたい」精神が輝くことなんて、まずないのです。異様に生徒から嫌われていた中学野球部の顧問、通称“ハラセン”は「寝るときにも夢のなかで野球してるか?それくらい好きじゃないとうまくならない」とどや顔で語り、当時の思春期部員から反感と顰蹙を買っていましたが、今ではハラセンの言葉がわかる気がします。AさんやSさんは夢のなかでもスクープをとろうとしているのだろうなと思います。僕は社会人になってから昔の野球の夢か、最近できた彼女とのエロい夢しかみません。

 

エロい夢と言えば、最近彼女ができて、僕の25年間の童貞人生はめでたく終止符を打ちました。身の丈に合わない彼女を手に入れ会うたびに手をつなぎキスをせがみ胸を揉み股間を膨張させSEXし頭パッパラパーになって朝に帰宅する生活を繰り返すうちに、渋谷のパルコで高い服を買い、「革靴なのになぜかスリッパ」という絶対にいらない3万円の靴を購入するようになりました。ただ念願の彼女ができ人並みの人生を手に入れて感じるのは、「俺に根づいたクソみたいな価値観は彼女ひとりで変わるわけじゃない」ということです。僕はずっと、「彼女ができたら俺のクソみたいな生活は終わる」と思い込んでいました。ペットボトルは帰ったらすぐ分別してゴミ袋に入れる。毎朝新聞読みながらコーヒーを飲み、洗濯物は洗ったらすぐ干す。週二回は自炊を楽しむ。ポストに郵便物は溜めない。LINEはすぐ返す。つかなくなったトイレの電球はすぐ替える。部屋に花を飾り四季折々の移ろいを楽しむ。そんな生活を夢見ていましたが、彼女ができて3か月がたった今、部屋にはペットボトルが散乱、ポストには新聞が溜まり、洗濯物は干す時間なくて近所のコインランドリーの乾燥機にぶち込み(臭くなる)、毎日松屋で微妙に身体を気遣った「チャプチェ牛丼大盛り」を食べ、LINEの未読通知は3桁たまり、トイレの電気はつかないまま、3か月前に買った花瓶は袋から取り出してもいません。そんな自分に嫌気が差すことも最近は少なくなってきました。

 

話がそれましたが、これからなにを頑張っていきたいかということを書きます。僕が大学卒業までに接してきたエンタメは、音楽とマンガと小説と映画とYouTubeで見れる漫才でした。つまりおおよそ現実と関係のないフィクションに夢を見て過ごしてきました。有名人とか、偉い人の経歴やゴシップに毛ほどの興味もありませんでしたし、そもそも知りませんでした。大谷翔平のバッティングとピッチングは本当にすごいけど、大谷の趣味はなにか、大谷の彼女は誰かについて、本当に心から気になったことは一度もありませんでした。ヒーローインタビューで差し障りのないおもんない内容をつらつら話し、毎度「頑張っていければいいんじゃないかなと思います」と意味わからん日本語をどや顔でのたまうショーヘイ・オオタニのことが嫌いになりかけることすらあります。現実の有名人を取り扱う週刊誌の仕事、向いていないなあと今も思います。早くマンガに異動したい、パンピーが自意識をこじらせて破滅するマンガを作り世のオタクを震撼させたいと、日夜しょうもない仕事帰りのタクシー車内で考えます。

 

けど、「自意識をこじらせて破滅する等身大のパンピー」を扱える仕事が、週刊誌の仕事のなかでひとつだけあることに、最近気づきました。それは「事件取材」です。事件取材とは、例えば安倍さんがぶち殺された時に、いち早くマスゴミの1人として現場にかけつけ、安倍さんをぶち殺した犯人や被害者の周りをハイエナのように漁り人の話を聞き、犯人の動機や人物像、破滅への道のりを自分勝手に推測して記事を書くお仕事です。この仕事の何がいいかというと、「事件」という社会性のある出来事を盾にして、事件が起こらないとスポットが当たることのなかった無名の等身大の容疑者の人生と破滅に、自分勝手に思いを馳せることができる点です。他人の人生に土足で踏み込み思いを馳せるなんてマスゴミの鬼畜の所業だと思う人も沢山いると思いますが、僕はそこにあまり罪悪感を感じないので、この仕事に向いているのかなと思います。僕が週刊誌関係の仕事で唯一得意なのは、事件後にその周辺の人に無遠慮に話を聞き出すことな気がしています。

 

1か月ほど前、岸田さんをぶち殺そうとした24歳の容疑者の事件取材で「これが得意だ」と自覚してから、芸能や政治スクープをとるために無理に偉い人やチャラい人と無駄な酒を飲むことがなくなり、「これをやればいいんだ」と人生が多少楽になりました。3年目の若僧がなにゆーとんねんと思うかもしれませんが、こういう気づきが得られてよかったと思っています。これまでの人生で、野球・ピアノ・パンクロックという明確に好きなものはありましたが、他人に評価されるような「得意なこと」はほとんどありませんでした。それを見つけられただけでも、なんとかはいつくばって週刊誌を続けてきてよかったと思えています。

 

今、午前2時です。深夜に久々にテンションが上がり、ウダウダ所感文を書けて嬉しいです。仕事、恋愛、趣味、人生、全てにおいて後悔のない人生を好きな人たちと共有することが、現状サラリーマンの僕が目指す幸せなのかもしれません。